とあるXの戯言

色々社会不適合者の話

Xジェンダー当事者でその他色々社会不適合者による、どうでもいい話たち。

セクマイのシェアハウス(個人的な願望)

結論から言うと、セクマイとシェアハウスは相性がよいと思うという話です。

毎度毎度前置きがクソ長くなる癖はよくないですが、でもやっぱり長々と前置きせずにいられないので、以下だらだらと書き連ねます。

今の仕事が文字を読み続ける職種であることもあって、読書はした方がよいと思いつつ結局しないのですが、年に約2週間だけ突然私の中での活字週間がやって来ます。

今年はそれが先月に発生し、最初に少し前に放送されたドキュメンタリー番組のザ・ノンフィクションで気になっていた元ニートのphaさんの最初の著書を拝読しました。

その放送に触れているphaさんのブログ記事はこちら。

で、読んだ本はこちら。

http://text.pha22.net/neetest.html

まず、ノンフィクションの放送をググったらphaさんやお仲間の方々の生き方に対して「舐めてる」「甘えてる」みたいなことを記載してるページが複数ヒットしました。

正直放送は興味深かったけど、私も見たときは
「いやあ俺も流石にここまで社会不適合者じゃないと思う、マジで働きたくないのは甘えじゃないの」
「こんな生活でも生きていけるのは本当にごく一部で、ほとんどの人はガチのニートかホームレスになるしかないはずだ」
とか、かなり失礼な感想を抱いていました。

働かないで生きるとか実際無理でしょ、とか。
あんなにプライベートない空間はキツいなあ、とか。
どうせ身体女性の俺には厳しいんじゃない、とか。

そんな中、私の中の読書習慣が巡ってきて、あの放送を思い出した私はphaさんの最初の著書をAmazonでポチりました。

そうしたら、まあなんと、自分の考えを代わりに誰かがすでに書き起こしてくれたのを読んでいるかのように、共感しかないのです。
これにはページを繰る度に驚くばかりでした。

生まれてこの方、無性かつ社会不適合者的発想(=マイノリティ)の私は、他人の意見や感情に心底共感する経験がかなり少ないため、
そのうち共感しようという気すら失せてきた結果として現在不適合者道まっしぐらなのですが、
この本を読んでしまったがために人生の中の7割の共感体験を済ませてしまったのではないかとすら感じています。

何に共感したって、やはり働きたくないことでしょうね。
ひたすらに働きたくないのですよ。
この心理は多分本当に働きたくない人にしかあまり分からないと思うのでこれ以上は書かないけど。

また、働かないで生きていくためにどうしてきたかに関しても概要が記載されていたので、具体的にどうすればよいかも想像が付きやすいのがよかったです。

(ついでに心なしか文章の書き方が何となく似ているような似ていないような気がしました。驕っていますねすみません。)

そんなわけで、割と一文が長い文体ではありましたが、私の頭にはスッと入ってきてサッと分解され血肉となりました。



前置きが長くなりました。

で、その本に書かれていた文で(その文章もまた、あるシェアハウスに関わっている齋藤桂太さんという別の方のものなのですが)、特に印象に残っていることがあります。

集まってると死ににくい。

死ににくい、というと何だか物騒というかポジティブにはなかなか聞こえないようにも思えますが、別にそんなことはありません。

ちなみに、本の草稿としてこのセクションが下記ページで公開されていますので、とりあえずこちらから読んでください(投げやり)。

http://text.pha22.net/neetest/156shininikui.html

で、これら諸々を読んで

セクマイこそシェアハウスすべきなんじゃないの

と思ったわけです。

まあすでに実際にありますけどね。
例えばこことか、写真見る限りめっちゃしゃれおつですよね。
興味本位でしかないけど、いずれ訪問してみたい。

何でセクマイにはシェアハウスが適しているかと思ったか。

セクマイとは言っても無数に色んな人がいますが、

既存の「家族」を構成するのが難しい場合が多い

という共通点は一つあるのではないかと思うのです。

つまり、ドン引きレベルのステレオタイプを引き出しますけど、
20〜30代辺りで「異性」と結婚して、
女性の場合は高齢にならない時期には出産して、
男性が主に生活費を稼いで、女性は主に家事をこなす……。

こんなん書いてたらイライラしてきた。

例えば上記のような「正規ルート」を考えたとき、私の場合だったらまず男性でも女性でもないという時点で結婚に行き詰まるのです。

別段セクマイに限らなくてもよい話にはなるのですが、正規ルートに乗れない結果自立できないのに孤立する人が何人かいるなら、集まって支え合うのがよいのでは、ということです。

そうしたら、例えば子供は好きだし育てたいけど、正規ルートに乗れないから諦める人が今まではいたけど、
集まって支え合ったら、保護者2人だけでは難しいけど5人もいれば1人なら子供を育てられる可能性も考えられなくもないのではないかと思うのです。

つまり、新しい家族のような形。
それがセクマイのシェアハウスのようなもので、いつか実現できないかな、と漠然と感じたわけです。

まあ親権は誰になるとか責任は誰がもつとか、現実的な問題を考え出したらキリないのですけど。

そこまでの親密性の高い関係を他人と築くことや、そもそもキッチンや洗面所、トイレや風呂といったプライベートな居住スペースを他人と共有するのは気が引けるというなら、建物やある一画で何となく、ゆるく集まればよいと思うのです。

(でも考えてみれば、ただその家に生まれたからというだけで一部短期期間を除いて私は家族という他人と居住スペースを共有しているわけで、何でそれが平気なのか改めて考えてみると不思議で仕方ありません。)

(なお、一部短期期間というのは短期留学していた時期なのですが、その大半は寮で暮らしました。6畳もない部屋で2人で暮らしていたこともありましたが、意外と平気でした。だから始める前は抵抗があっても、やってみたら何とかなるかもと思いますけどね。)

例えば、アパートの入り口から一番近い部屋を、キッチンとトイレだけ残してあとはぶち抜いて共有スペースにする。
で、そこを入居者が自分の部屋に行くのに必ず通るような構造に変えて、そこでくつろいでもよいし、たまにイベントとかオフ会とかやるとか。

……等々考え出したら、今まで会社員をしながら一人暮らしする未来が、お先真っ暗どころか真っ黒であることすら想像がつかなかったのに、何だかセクマイのシェアハウスに関しては随分想像が、というより妄想ができたのです。

とは言っても今のところ自分のことで精一杯だし、具体的なシェアハウス構想や運営管理までには全く考えが至っておらず、そんな何もまとまってない考えを時期尚早に晒すなやとも思いますが、
もしかしたらどこかの不動産王や権力者が興味を示して、これを実現する土台を作ってくれることがあるかもしれないという他力本願にかけて、今こうして駄文を掲載している次第です。

どっかにセクマイに理解ある不動産王いないかなあ。