とあるXの戯言

色々社会不適合者の話

Xジェンダー当事者でその他色々社会不適合者による、どうでもいい話たち。

俺の低学歴の世界と高学歴の世界

今回はLGBTQには関係ないと言えばそうですが、個人的に伝えたい話なのでお時間余力あれば読んでいただきたいです。



先日ついったで以下の記事のリンクが回ってきた。

この匿名ダイアリーに付いているリンク、さらに追記の2つの記事含め読んだ。
(記事自体は結構前だが、これらの記事も読んで欲しい。特に「高学歴の世界」の住民の方には)

(この世界には色んな分断された「世界」というものがあるが、その1つの区切り方として)「低学歴の世界」と「高学歴の世界」についての記事だった。
リンク先のは「低学歴の世界」から「高学歴の世界」に移動してきた人、更なるリンク先の記事は「低学歴の世界」の人だが「高学歴の世界」というものを認知した人。

個人的にはめちゃめちゃ同意しかなかった。
というのも、自分も「低学歴の世界」から「高学歴の世界」に移ってきた者の一人だから

特に印象的だったのが、各記事の体験談について「嘘松」的なコメントをもらったのだが本当なんだ、というのがあったが、むしろ個人的には「あ、『高学歴の世界』の人には『低学歴の世界』の出来事を信じてもらえないんだ」と思った。
必ずしも同じような状況下だったわけではないが、でも自分の過ごした「低学歴の世界」を考えればまあ別にあってもおかしくないというか、俺が知らないだけでそんなことくらい起こっていそうなもんだなという印象だったのだ。

でも、高学歴の世界の人には信じてもらうことすらかなわないのか。その世界に身を置いたことがないから想像が及ばないのか。
どうしたら想像してもらうことくらいは、認知してもらうことくらいはできるようになるだろうか。

結局は、Xジェンダーを認知してもらうためにこのブログを初めのと同じように、「低学歴の世界」についての経験などを広めていくしかないと思い至った。



そのリンクを読み切った時点でも色々思うことがありついーとを連投したのだが、ついーとしながら「これ俺もちゃんと改めて書いた方がいいな、つーか暇だし書くか」っつーこって記憶を掘り起こしていたのだが、結構やっぱりちゃんとしっかり底辺だったなと改めて感じた。

というわけで「低学歴の世界」から「高学歴の世界」に移ってきた一人として、個人的体験を中心につらつら書いていこうと思う。


前提

匿名ダイアリーの方は「田舎」だが、俺の場合は、俺の地元は東京である、住所上は。つまりこれからするのは東京の最底辺の話である。

まあ今までの俺のついーとを遡ったら割れるしここから書くことも洗い出せばすぐに割り出せるだろうけど、具体的な市町村名は出すまい。

東京の最底辺地域は、米空軍基地である横田基地周辺である、と今もやはり信じてやまない。
どうでもいい地域だからオスプレイだって配備するんだし、交通インフラも何十年経ってもよくならないのだし、土地は安いし、余ってるし。
よって、お金のない人が集まってきて、そして教育水準が低い。

その最底辺地域の中でもさらに私が自分の地元を東京の最最最底辺だと思っているのは、いくつか理由はあるがそのうちの2つは言うと明確に市町村を1つに絞れるのでそこを避けると、今回のテーマ「低学歴の世界」に直結するのだが、京都市町村別学力平均が、万年最下位(※)だから。

※少なくとも私が義務教育受けているときは基本的に最下位だった。1回だけワースト2に上がった(それでもワースト2である)ときがあったが、そのときのワースト1位もやはり横田基地に隣接している(市の一部がアメリカ領土とされているというのが本当は正しいけど)ところだった。
そして、今回念のため調べたら数年前の学力調査結果が出てきたが、変わらず私の地元は最下位だった。

これからそういうところのお話をします。
本題に入りましょう。


実家の周り

本当に失礼な言い方するけど、早速我が実家の隣の家は底辺である。

小さい頃私と遊んでくれた隣家のお姉さんとお兄さんは、小学校の頃は「大丈夫」のように思えたのだけど、両者とも中学に上がるとろくに学校に通わなくなり、お姉さんは10代で出産、シングルマザーとなり、お兄さんは引きこもりになった。
で、且つそのお姉さんはそれからも何人か子どもを産むのだが(もしかしたら俺が知らないだけでまた増えてるかも)、そのうち上の2人は小学校に上がっているはずなのに、ろくに通っていない
というのも、学校に行っている時間のはずなのに、昼間に家から子どもの声がするのだ(母談)。

別に俺が改めて言わなくても分かりきっていることだが、貧困から抜け出すには教育が大事だけど、そもそも貧困層(つまり今回の話で言うところの「低学歴の世界」)は教育を重要視していないから、貧困が連鎖するわけだ。
宿題を見る見ない見てやれないとか、そんなレベルではない。学校に行くことは、カッコ悪くてダサくてだるいのだ。
そういう世界が広がっているのが、その考えがまさに再現されているのが、低学歴の世界。

家の裏もなかなかハードだった。というかやっぱあれは明確に虐待だった。
家の裏では、毎日子どもたちをお母さんが怒鳴りつけていた。
それも、ただ「うるさい」「大人しくして」などそんなもんではない。「ぶっ殺すぞ」「土下座しろ」などである。そして度々ひっぱたいているような音が聞こえる。
そしてその家庭の第一子は、学校では相当な問題児としても地域では有名だった。

※さすがにこの事案は、当時私の母が子どもの通う小学校に通報していますが(問題児だったのもあってすでにかなりマークされていたようです)、しばらくして引っ越したのでどうなったか知りません。そして問題児であったという第一子は、私の記憶が正しければもう成人する頃です。



ちょっと話が前後するが、このような環境下で、私の家は決して裕福ではないが(だって裕福でないから土地の安い最底辺に家を構えたのだし)、父は(Fランではあるが)大卒、母も短大卒だったので「低学歴の世界に住んでいるが、低学歴の世界を客観視できる人」だったことをここで断っておく。

とりあえず家の周りはそんなんだった。


小学校

幼少期はマジで記憶がないので、小学校から低学歴を感じたことを書きたい。

小3、4で初めて明確な学級崩壊を経験した。

何人かは席に着かず常に歩き回り(これについてはこの十数年後に発達障害というものをようやっと知ったので、必ずしも悪いとは言えないけど)、教室の中をボールが飛び交い、教師が泣き、そこら辺でゲーム機でゲームして、といった状態だった。
一時期学級委員をしていた俺は、その頃にはもうすっかり口が悪いので「テメーら黙りやがれ」「席に着けこの野郎」などと毎時間怒鳴っていた。怒鳴っていた記憶はさすがにあるが、授業参観でも変わらずこの口ぶりだったと十数年後に母に言われた。子どもって周りが見えねえんだなあ。
逆を言えば、授業参観だろうが何だろうがボールが飛び交うくらいには崩壊していたわけだ。

そのクラスは、小5にクラス替えするまでずっとそのままだった。


中学校

中学校はもっと、この数段ひどかった。

勿論、学級崩壊もした。学級崩壊したのは1年生のとき。ゴールデンウィーク明けにはすでに明確に崩壊していた。
今度はボールも飛び交ったが、画鋲が主だった。クラスの男子の半分、10人くらいが投げていた。
言わずもがな、投げていない人にも画鋲は当たった。背中に当たってチクッとしたくらいで、大事に至った人はいなかったけど。

そのほか、授業後毎に陰キャ男子が問題児たちから集団リンチを食らっていた。
最初はどうしようと思っていても、授業の後ほぼ毎回となるとそのうち日常の光景となって、どうも思わなくなっていった。教師も見て見ぬふりだった。

授業は、学生を落ち着かせて授業を開始できる状態にするのに45分かかり、最後の5分くらいしかまともにできなかった。
無論、そんなんでは教育課程が終わるわけがなく、例えば英語の最後の単元「過去形(規則変化)」はいつになったら入るのかなと思っていたら、いよいよ着手せずに終わった。多分着手できなかったのは、学級崩壊していた私のクラスだけだろう。

自分らが最高学年になったときには、学級崩壊はしなかったが、学校崩壊した。
窓ガラスが割れ、中学を卒業した輩がバイクでやって来て、最近アイツ見ねえなと思ったら留置所に入れられていて、校舎に「死ね」などと落書きされ、その落書きを上書きするペンキが乾かないうちに誤って制服を付けてしまった学生が次の日ジャージで登校してきていた。



低学歴の世界が低学歴たるのが鮮明になるのは、中学卒業後の進路であると思っている。

例えば、3年間つるんでいた友人の仲にDQNがいた(改めて言うが私は決してDQNではない)。母に進路について相談したところ「高校なんて行くのか」と言われた、と言っていた。
しかし当人は高校には行くべきと考えていて、(底辺ではあるが)都立高校に受かって進学した。
まあ1年足らずで退学したけど。

そういやもう一人つるんでいた友人がいたが、そいつは中1も終わらないうちに学校来なくなってたな。



ここで言っておきたいのは、お金がない家庭が多いので、我が地元では「都立一本」の人が少なくなかった。
つまり、都立高校のみ受験して、滑り止めの私立高校は受験しない。本当に全部落ちたら浪人するか就職するか、という弱冠15歳前後にしてすでに崖っぷちを強いられる人が一定数いた、ということである。

自分が中学生のときは、友人の一人に都立一本の子がいた。
残念ながらその子は1次試験で落ちて、そこまで頭悪いわけではないのに、通常の試験を行わない救済措置的学校であるエンカレッジスクールに進むことになった。
(エンカレッジスクールについてはすみませんがご存じない方はお調べください)

自分が大学生のときにしていた塾講師のアルバイトでも、入試直前になって入ってきた子で都立一本の子がいた。1人だったか2人くらいいたか、忘れてしまったけど。
このときは、子どもの人生の岐路の責任を俺が担っているのかとぞっとしたもんだったが、でもその子(たち)は志望校に受かって、残念な結果にはならずに済んだ。マジほっとした。

自分はというと、中1の5月ですでに早く卒業してこんなところとは縁を切りたいと思っていたので、大して頭がいいわけでもないが進学校を目指した。結果、自分ともう一人しか進学しないような高校に進学することになった。つまり環境が変わることになる。
ちなみに、自分の学校が崩壊していることは周囲の高校の入試担当には知れたことなので、入試フェアで自分の学校名を口にしたり制服を見られたりすると、相手が苦い表情になることもしばしばあった。
そういう所に住んでいると、そこの学校の出身ですと言うだけですでに不利なんだと、確かにどうしようもない格差を15歳で感じた。



なお、中学卒業時に渡された資料の中で、卒業生の進路内訳が書かれていたのだが、1割が「進路未定」だった。それぞれ事情はあるにせよ、本当にやりきれない気持ちだった。大人は何してんだよ。


「高学歴の世界」へのふれあい

そういうわけで、私の「高学歴の世界」への入り口を踏むのは高校からなのだが、その前段として恩師の存在は、その後の人生で大きく影響した。

小学校高学年から中学校まで、地元でほぼボランティア的に英語塾が開かれており、本当は定員に達していたはずなのになぜか私が入れることになった。
……ということは当時の私は知らなかったが、これは静かな私の人生のターニングポイントだったと思う。

英語を教えていただいて初めてちゃんとした得意教科を手に入れられたのもそうだが、今回の話において重要な点は、底辺みたいな人たちばかりの中で、なぜか先生一家は日本でも頂点レベルに入る「超高学歴の世界」の人たちだったのである。
いい家に育ち、いい学歴を持ち、名誉ある職に就き、お金が潤沢で、いいものを買って暮らしていらっしゃった。家の中は、私なんざ一生買わないであろう高級ペルシャ絨毯とか、そんな高級家具だらけだった。

なぜそんな日本社会全体で見てもヒエラルキーの頂点層と言っても過言ではない一家がこんな最底辺地域に住んでいらしたのかは知っているようないないような感じだが、しかしとにかく先生はその環境に安住してただ裕福な奥様として余生を豪華に暮らすのではなく、社会貢献精神旺盛なエネルギッシュな方で、「沢山勉強して社会貢献しなさい」と常に私たちに説いていた。
もう時効だし一応匿名だから言っちゃうけど、実際一時期かなり我が家が金銭的に余裕がないとき、私は月謝ぜーろーで授業を受けさせていただいていた。多分それも先生にとっては社会貢献。そもそも月謝だって格安で、儲けたいがためにやっていると言うより本当に地域社会貢献のためにやっていたのだと思う。奥様趣味と言ってしまえばそうだけだけど、社会貢献が趣味で生きがいだったのだろう。
なお、「だった」などと言っているが現在もパワフルにご存命である。

そんな先生が、私が初めて体験した「高学歴の世界」だった。


高校、大学、社会人

で、高校に進学して「低学歴の世界」から足を洗い、「高学歴の世界」に仲間入りした。

高校での最初のうちに経験した「高学歴の世界」は衝撃だった。

まず、皆に想像力があり、最低限の価値観が一致すること
授業中にボールや画鋲を投げるのは危険な行為であるという共通認識が、全員にあることすら衝撃。話が通じる~!とじーんと実感したものだった。

別軸で衝撃というか恥ずかしい思いをしたのは、腰パンしないこと。
というのも、地元は陸の孤島だったので文化がやってくるのが遅かった。で、2008年になっても未だに腰パンがカッコいいということになっていた。
ところが翻って2009年の春に進学した高校では、誰も腰パンなんてしないでちゃんと体育着を着用しているではないかッ……!というのを母に家に帰って報告した覚えがある。自分は古い価値観が蔓延するところにいたのだと。

かといって別にみんなガリ勉で大真面目な進学校に進学したわけではなく、むしろ茶髪に染めて高校デビューする人が何人もいるような、自由な高校だった。下駄が禁止されているくらいで、それ以外は何でも自由だった。
しかしそれで荒れるわけでもなく、自由と責任と自律をちゃんと理解して、みんなおしゃれを楽しみたい人は楽しんでいたし、別に特に楽しまない人もそれはそれで尊重される、本当に楽しくて心地よい場所だった。(まあ確かにぱっと見DQNみたいな人だらけだったし、私も途中からそんな感じだったけど、私から見ればマジモンの「低学歴の世界」とは全然違うのだ。まあ私も当時はしばしばDQNと勘違いされてたけど)



高校でもう一つ衝撃だったのは、教師の質が高いこと。
小中では、いじめを容認するとか、差別的発言を繰り返すとか、人格を疑うような教師が少なくなかった。そして本当に保護者間でも評判が悪かったり問題を起こしたりした場合には、近くの別の「低学歴の世界」に移るか、「島流し」で離島に飛ばされていた。
しかし、そんな人は高校にはおらず(一人も人格やスキルを疑わなかったと言えばウソになるが)、学生の相談にはちゃんと乗ったし、授業も(人によって差はあるが、少なくとも半分以上は)為になった(尤も、高校の授業の大半は寝て過ごしてたけど)。

まあ確かに、授業をする状態にするのにエネルギーの大半を持って行かれる状態がしんどいっていうのは分かるが、基本的には学生の質と教師の質は比例して派遣されるのだということをまざまざと感じた。
(それに、稀に「低学歴の世界」でいい教師がいると、数年で学力の高い地域に配置換えされてたしな)

まあ新しい校長はよくないと認めないで、みんな話を聞かないで英単語帳や古語辞典を読んでいるのにはびっくりしたけど、みんな勉強が大事で、それは他ならない自分のためであるだということをよく分かっていた。



高校ですっかり「高学歴の世界」の仲間入りしたので、大学や社会人になってからの「高学歴の世界」へのカルチャーショックはなかった。

強いて言えば、例えば今は仕事で常時使用するソフトの高度な設定について、前提・背景知識抜きで最低限の会話でやりとりできる上司がいて、そういうときに「話が通じるって楽だなあ」と思うことくらいだろうか。いつの間にか自分の中の「話が通じる」レベルがすごく高くなっていて、そういやかつて俺は「勉強が大事」ということすら大半の人とは共有できないところにいたんだわ、ということを思い出した。周りに大卒の人しかいない状態が当たり前となって、都心に引っ越してすっかり「高学歴の世界」の住人になって、ちょっと前まで「低学歴の世界」にいたことを忘れかけていた、ということに昨日気付いた。


スゲーカッケーから

というわけで、自分が「低学歴の世界」から「高学歴の世界」に移ってきた流れを思い返しつつ、主に「低学歴の世界」がいかなるものか個人体験を通して紹介してきた。

話は戻って、記事の最初に貼った匿名ダイアリーでも言及されているようなアイスケースに身体を入れて写真を撮ってSNSにアップするような奇行も
授業中にボールや画鋲を投げることも
そのほか、例えばあおり運転も、それをすること自体は到底理解できないし、容認する気もまるでないが、「低学歴の世界」の住人だった者として想像するに、彼らがそういうことをするのは単に「スゲー」「カッケー」からだと想像する。

高学歴の世界しか知らない人は、周りにいる人は大卒が当たり前で中卒や高校中退の知り合いが10人もいないような人にとっては、「は?」って思う方もいるかもしれない。でも、本当に多分これだけだと思う。

別に反体制派とか、無論そんな高尚な意識の上でやっているわけではない。単に、みんなと一緒に何か従っている(ように見えることをする)のはダサくて、みんなができないことをやるのがカッコいいだけだと思う。
そのベクトルが、今までにない発明や発見や創作に向かえばよかったのだけど、努力も才能も要らない手っ取り早い手段として、誰かを傷つけたり公共の福祉を害するという方向に向かっただけのこと。
だって親も周りもそうしてるんだから。

だから、アイスケースに身体を入れて写真を撮ってSNSにアップしたら炎上して警察・損害賠償沙汰になるとも
授業中にボールや画鋲を投げて、最悪誰かの目を失明させるなど取り返しの付かないことになるとも
あおり運転やその後の暴行の一部始終がドライブレコーダーに記録されていて、それが後に証拠になって逮捕されるなど、後先考えないでそういうことができるわけで。
そんな人が、果たしてゴムなしで性行為して相手を妊娠させて相手や色んな人の人生を狂わせる、心身傷つけるということを想像できるだろうか。



追及の手は緩める気はさらさらないが、これらを通して言いたいのは
生まれ育った環境がほぼすべて。
「低学歴の世界」と「高学歴の世界」を一個人の中で出たり入ったりすることはそうそうない。どちらかの世界しか知らないことが多い。
だから、どんだけ劣悪な環境というのが存在するかも知らずに「環境のせいにするな」と自己責任論を振りかざすのはやめるべき。自己責任論滅べ。
ということである。



とにかく「低学歴の世界」にいたときには、生まれ育った環境による差がその後の人生でどれだけアドバンテージになるか、逆にマイナススタートとなるかというのを思い知らされたので、裕福な環境の人、特に保護者の金でブランドバッグを買っているような人は本当に憎かった。

私だってもっと裕福な家庭に恵まれていれば、高校生のうちからアルバイトなどしなかっただろうし
大学で奨学金も借りなかったろうし
短期留学の費用を自分で稼ぐ必要もなかったろうし
長期留学も親の金で気兼ねなくできたろうし
何よりあんな東京最底辺に住まなかったろうよ、と学生時代は悶々と思っていた。

その憎さも、だんだん自分の中で「高学歴の社会」がデフォルトになる中で「恵まれていてよかったですね」程度でさほど気にならなくなって、忘れていた。
「高学歴の社会」の住人になって色んなことを忘れていた。
(まあこの前の参院選で多少は思い出して、れいわに投票したけど)



これを書いていて、LGBTQ当事者に会ったことがないというマジョリティがいるように、「高学歴の世界」の人も一回「低学歴の世界」の人だらけの世界に身を置かないと、その世界を実感できないのかもしれない、いくら想像しろと言っても「嘘松」と一蹴して関心すら持たないのかもしれない、とすごく残念だけどそう思い至った。



いつになく長文になってしまいましたが、もしここまで読んでいただいた方がいましたら、大変ありがとうございました&お疲れ様でした。