とあるXの戯言

色々社会不適合者の話

Xジェンダー当事者でその他色々社会不適合者による、どうでもいい話たち。

「セクマイ」とは:意外と近くにいるかも

最初の記事の冒頭でも触れましたが、セクマイとはどういう人のことを言うのかに関して、もう少し考えてみたいと思います。

その最初のやたら長い記事はこちら。

結論から言うと、まあマジョリティではない人ですよね(爆)

ではマジョリティとは何かと言えば、これは色んなマジョリティ/マイノリティに当てはまることだと思うんですけど、「社会で前提とされている条件」をクリアしている人だと思っています。

そして、セクシャリティにおける「社会で前提とされている条件」とは何かと言われれば、以下の項目全てだと私は考えています。
これらの条件を前提としてもって満たして、やっとセクシャリティにおいてマジョリティとなれるのです。

・性別は男性か女性の2つのみ。
・生まれ持った体の性別、自覚している性別をまとめて「性別」とし(両者の違いを意識しない)、一個人の中でこの両者の性別は矛盾なくどちらか同じ一択である。
・自分の性別とは異なる性別のみに対し、いずれ必ず性的に興味を持ったり、好きになったりする。
・好きになった異性とは必ず性交したくなるものである。
・一時に(本気で)好きになる人は一人である。

上の条件のどれか一つでも「自分には当てはまらない」と思えば、その人はセクマイ当事者の可能性があると思っています。

では、上記の前提条件に関して一つ一つ考察してみます。

が、最初に私の意見を申し上げると
これらの条件に対して自分のこととして疑問や違和感を持ったことはないのか
ということを今一度考えていただきたいだけです。

①性別は男性か女性の2つのみ。

例えば、以下のような性自認の数直線があったとして、シスジェンダーの人も、またGIDの人も、両極端のどちらかに丸を付けることはないのではないかと思っています。

男|-------------------------------------|女

また、Xジェンダーの人でも、中性の人は中間辺りだったり、両性の人は両端付近だったり、不定性の人は「今日はこの辺り」「大体ここからここの間で揺らいでる」など、表現できる人もいると思います。

ただ私の場合、Xジェンダーをよく知らなかったころは中間辺りかなあと考えたこともありましたが、今となっては一分一秒生きれば生きるほど、「この数直線上には俺はいない」と感じます。
性自認として何かしら感じるものがあるという感覚がすごく不思議です。

そして、いつか数直線上に自分はいないと感じるこの感覚を無性でない人にも明快に説明できるようにならぬものかと考えあぐねていますが、残念ながら今のところは難しそうです。
「無性の感覚」は、今後も日々悶々とするつもりです。

何かよい表現などご存知でしたらぜひ教えてください。

②生まれ持った体の性別、自覚している性別を合わせて「性別」とし(両者の違いを意識しない)、一個人の中で両者は矛盾なく同じ一択である。

私は小さい頃、自分の身体の性別に対して「何で俺の身体は女なんだろう」と思い始めてからずっと、今も変わらず違和感を持ち続けています。
多少違和感が緩和されたり増幅されたりすることはあっても、一生解消されることはないと思っています。

ほとんどの人は自分の身体の性別と自分の感覚に対して違和感、まあそこまでいかなくても疑問を、持ったことはないのでしょうか。
特に疑問や違和感のない、身体と心の性別がぴったり合った状態って、どんな感覚なのでしょうか。
多分合っていたらかなり心地よいんだろうなとは思いますが。

ちなみに、どんな服を着たりどんな振る舞いをするか、すなわち「表現する性」はこれとはまた関係ないところに位置します。
マジョリティは心の性=表現する性、つまり「男性/女性らしく」生活するのが一般的だと思いますが、例えば少し前に流行った「女子力」という言葉にイラっとするなど、これはマジョリティの中ですでに割と揺らいでいるのではないでしょうか。

また個人的な話ですと、私は無性を自認していますが、表現する性はあまり男性/女性どちらかの性別を想起させないように努めるということはしていません。
面倒なのでww

中性的なものが似合うポテンシャルがあったらよかったですがあまりないと思っているので、普通に見たら身体の性別=女性に見えると思います。

そもそも別にワンピースとか、それはそれで好きですし。
肌触りのよいフレアワンピースは、タオルケットに包まっているようで気持ちよいです。

例えば、髪は何だかんだ長いと便利です。
夏は暑けりゃ結べばいいし、冬は下ろしていると結構暖かいのです。
また、電車で隣の人がマスクもせずものすごく咳き込んでいるけど自分もマスクを持ち合わせていないときは、気休めですけど髪を下ろしてブロックしたりできますww

③自分の性別とは異なる性のみに対し、いずれ必ず性的に興味を持ったり、好きになったりする。

対象狭すぎません?
何で勝手に異性って限定されているんですか?何で限定されていることに疑問を持たないんですか?
生殖器が同性の者同士では子供を産むことができないから?しょーもな……。

というのが私の考えです。
(昨今は子供を産まない選択をする夫婦も珍しくないとか、そんなところで論じるつもりはありません。)

何でシスヘテの方が異性の方に持つような興味が、絶っっっ対に同性には向かないと言い切れるのでしょうか。
別に相手の性別が何だって良くね?と、パンセクを自認している私は考えています。

また個人的な話になってしまいますが、パンセクと言ったって万人ストライクな訳ではなく、私は年上(できれば少なくとも10歳くらい)がよいと思っているので、年々狭まっていますww
それに元々性格曲がってるからなww働きたくないヒモになりたいwwww

失礼しました……。

あと下記の事項も含めてこれらに関して私は当事者でないので気安く語れませんが、「性的に」興味を持つというのもポイントです。そうでない人もいるよと。

④好きになった異性とは必ず性交したくなるものである。

⑤同じ時に(本気で)好きになる人は一人である。

以上、色々冗長に説明して参りましたが、セクシャリティのことを考えるときは以下の3点に分けて考えるとよいのではないでしょうかということですね。

性自認:心の性別は何か
性的志向:性的に魅力を感じる対象がいるか、どこに対象が向くのか
・恋愛志向:恋愛するのか、どこに恋愛の対象が向くのか

この3つを切り分けて考えられるようになるのに私も大変時間がかかりましたが、これが浸透するとかなりセクマイは受け入れられる土壌が出来上がるんだけどなあと感じます。
この先色んな面倒臭いセクマイのカテゴリ説明を浴びたとしても、「ああまあそういう場合もあるだろうね」程度で受け止められると思います。



結論としては、やっぱりマジョリティの壁は高すぎる。



話は変わりますが、最近、義務教育の学習指導要綱の大きな定期的な改定がありました。

セクマイ界隈では、保健体育に関してセクマイを考慮した記述に変更、追記するように署名運動がありました。
私も微力ながらネットで署名しました。

しかし、署名運動で希望したようには全くなりませんでした。

以前の保健体育の教科書では、

「誰でも異性を好きになる」

との記載があったのが、

「異性を好きになる」

に変わっただけだそうです。

結局のところ教科書にどう反映されるか分かりませんし、教える内容は学校や先生次第ですが。

まあしかしこれでは、当事者としては幼少期からの悩みや苦しみを否定されているように感じますし、マジョリティもシスヘテが当たり前と感じ、性の多様性を知らないままで大人になる可能性があります。
私としてはXジェンダーとかそこまで踏み込まなくて構わないから、せめてLGBTくらいは書いて欲しかった、ていうか昨今のLGBTブームから書かないわけないだろうと思っていました。

そう思うと、今までセクマイを悪気なく否定されたことは何度もありますが(私がまさかセクマイとは知らずに差別的発言をする家族や知人友人)、知らないものは怖いし、知らないから仕方ないのかなあと少し諦めモードになります。
いやでも、こんな小さなブログからでも、頑張るけど。

一部では、左利きの人と同じ割合でいると言われているセクマイ。
その信憑性は定かではないですが、まあもしかしたらそのくらいいるのかもな、とも思います。

例えば今あなたが電車に乗っていたとして、隣に座ったり立ったりしている人がセクマイである確率は、十分あると思います。
少なくとも私は今のところ毎日満員電車に乗って通勤してますから。
至って日常に存在するのです。

私自身への戒めでもありますが、そういう想像力をもって生きたいものです。